健康まちづくり2025
人生100年時代を見据えたまちづくりに向けて、
健康寿命の延伸に貢献する技術・製品・サービスが集結します。
  • HOME
  • 記事一覧
  • 住民参加のまちづくり「美の基準」が謳う豊かさ
  • 神奈川
  • インタビュー

住民参加のまちづくり
「美の基準」が謳う豊かさ

神奈川県真鶴町

2025. 06. 05

幅広い世代の住民がなごやかにすごす「町の保健室」、町内外の人たちの交流でにぎわう「朝市」――。神奈川県真鶴町は住民参加型のまちづくりが盛んな地域です。そのようなコミュニティの豊かさを真鶴町の美しさとして謳ったのが、約30年前に制定された「美の基準」デザインコードです。町職員として、また町民として、長く地域活動を支援してきた卜部直也・健康こども課長と町の保健室のみなさんに、コミュニティが成長する経緯をうかがいました。

――住民の暮らしを豊かにする真鶴町のまちづくりが注目されています。

「町の保健室」のみなさん

ここ数年、健康分野において活発に住民参加で活動が展開されているのが 「町の保健室」です。町の中心部にある情報センター真鶴を拠点に毎週金曜日、スタッフやボランティアが健康づくりから介護予防まで、町民からの相談に応じています。住民交流の場でもあります。

てつがく人生すごろく

例えば「てつがく人生すごろく」。さいころを振ってマスを進むゲームですが、マスは幼少期から80代まで年代ごとにゾーンがわかれ、「得意だったことは?」「この時代の自分を褒めるとすれば?」「一番うれしかったもの・言葉は?」といった質問が記されています。止まったマスの年代が過去であれば当時を思い出して答え、未来であれば未来の自分を想像して話してもらいます。

ゴールの質問は「これからの人生で大切にしたいことは何ですか?」。すごろくを通して、健やかにすごすにはどうしたらいいか、お互いの人生を尊重しつつ自然と話が盛り上がっていきます。住民メンバーが人生すごろくを発見し、保健室メンバー同士の住民目線で真鶴バージョンを作成し、町の保健活動・健康づくりにつなげていただいています。

町の保健室の活動の様子

「背戸道ウォーキング」も町の保健室の提案活動です。背戸道とは、高低差のある真鶴町の地形に沿うように張り巡らされる幅2メートルほどの生活道路、いわゆる路地の呼び名ですが、Uターンしてきた住民ボランティアがガイドを務め、高低差を活かした健康づくりとして、町歩きツアーを企画しています。訪れる人が立ち寄った店で会話をすることで、住民の側にも自分たちが見過ごしてきた町の魅力を再発見することにもつながっています。地元への愛着や誇りを再認識しているようです。

コミュニティ真鶴

歴史がある活動としては、公共施設「コミュニティ真鶴」での地域活動があります。1994年に町のデザインコード・「美の基準」に基づき第1号で建設されたコミュニティセンターで行政主導のプロジェクトとして始まり、行政が直接管理していましたが、住民がつくる運営協議会で自主的に管理運営する形に切り替わりました。さらに現在は指定管理者制度を活用し、住民団体である「真鶴未来塾」が町民活動支援拠点としてヨガ教室や電力自給システムの勉強会などを開催支援したり、アートや習字といった「ちいさなおけいこ」や、こどもたちの放課後活動プログラムの実施等、子どもが地域と交流するコミュニティーハウスの機能が育まれています。

――町外と町内との交流もさかんだとうかがいました。

背戸道

多くの方々が訪れるのは、毎月最終日曜日に開かれる「なぶら市」という朝市です。「なぶら」は、魚群が海面で跳びはねる様子をいう漁師言葉で、真鶴育ちのメンバーが再発掘した漁業がさかんな真鶴らしいネーミングです。もともと町の活性化プロジェクトだったのですが、こちらも住民が主体となった実行委員会が独立して開催しています。私も驚きましたが、はじめのターゲットは観光客ではなく、町民だったんです。日常的に鮮魚や干物が楽しめる漁師町の暮らしの中で、野菜販売をメインの一つに据えました。「野菜が溢れる朝市」が開催されることで、多くの町民がリピーターになり、観光客も来場しています。私も町民として嬉しかったし、町民が望んでいることは何だろう?を深堀する大切さを学びました。月1回、朝10時からのんびり始めて3時間のみ開催として、SNSを通じてPRしているうちに、町内外の交流の場として息の長い活動が続いています。

――真鶴町は30年ほど前に「美の条例」を制定しました。

1994年に制定された真鶴町まちづくり条例(通称、美の条例)と、条例に基づくデザインコード「美の基準」は、真鶴の環境を守り続ける役割を担っています。条例に「賑わいを演出した建物の背後には、騒音から逃れた静かな背戸を用意すること」と記されていることで背戸道が維持され、「コミュニティ真鶴」も地元産の石材を使うなど条例に沿って建てられた経緯があります。

かつて、新築住宅でピンク色の家を建てる計画がありましたが、美の基準をもとに対話を重ねて、施主さんの提案で周囲に馴染む赤を基調とした漆喰の家が出来上がりました。高層マンションを計画した事業者には、町をあげて意見交換を重ねたこともあります。条例に込められた想いや理念が徐々に住民に浸透していった30年の歩みがあります。

――行政と住民の距離が近い気がします。なにか秘訣はあるのでしょうか。

「美の基準」では、昔から続く真鶴町の美しさとして、「コミュニティ」の豊かさや、多世代が交流し住まうこと、そして、「まつり」「できごと」「賑わい」「いぶき」を大切にすることが謳われています。住民が真鶴の暮らしを楽しみ、行政が応援する、協働する、というメッセージが美の基準に込められていると感じています。

――現在は健康づくりやこども・子育て支援を担当していますが、 これからのまちづくりは、どのように考えていますか。

私はまちづくり条例に惹かれて2000年に町職員になりました。当時は「思うように開発できなくなる」等、条例の是非について大きな議論もありました。30年の時間を経て、いまは「この風景があるから人が来る、商売する、移住する」といった流れが生まれています。

健康づくりやこども・子育て支援、そして福祉の分野からも、美の基準が謳う真鶴の豊かさに向き合っていきたいです。暮らしを楽しんで健康になり、足りないものを住民主体で考える――これからも試行錯誤を積み重ねていきたいと思います。

(聞き手・但見暢)

  • #神奈川県
  • #インタビュー
TOPへ戻る